貧乏神とお別れする時が来た 水木しげるさんの四柱推命の命式

仕事運のこと

お説教っぽかったりスローガンみたいなご教訓めいたものはあまり好きではないのですが、
これは大好きだなと惹きつけられる人生訓のような七カ条があります。

それは何かと言いますと、漫画家の故水木しげるさんがまとめられた幸福の七カ条です。
これは、ご自身一人だけの狭い人生経験からではなく、長年に渡って世界中の幸福な人と不幸な人を観察してきた体験から導き出してまとめ上げた幸せになるための知恵なのだそうです。


水木しげる著「水木サンの幸福論」角川文庫より

う~ん、素敵。
自分も好きなことでないとダメな人間なので全て納得なのですが、特に第一条・第二条・第三条には強く共感します。

「しないではいられない」級の物であればモチベーションが下がることもなく良い状態を保ったままこなし続けて行けそうですし、それに何よりも好きなことをし続けられる生活を送れることはメチャクチャ幸せそうです。

名誉欲や他人の上に立つことが第一優先では、いつかチヤホヤ持ち上げてくれるような人との対人関係などの調子が悪くなった時に「好きの力」で力をつけてきた人が作り出す物に負ける時が来る気がします。

そして第五条で「才能と収入は別、努力は人を裏切る」と言い切ってるように、水木さんは好きで努力するだけではお金にならないという厳しい現実もちゃんとご存じのようです。

世の中は不平等に出来ていて、「好きなこと」では生活せずに、与えられた仕事をこなして生きて行く人もゴマンといます。
これといって心惹かれるもの興味関心を持てるものが何もない、自分が何が好きで打ち込めることなのかが分からないタイプの人だっていたりします。
なのできっと不明な時柱には好きなことで生きて行く人の様子が出ているのではないかな?と思います。

こんなことを言える水木しげるさんとはどのような命式を持っている人なのでしょうか。

十数年、私が毎朝楽しみにして見ていた朝ドラ「ゲゲゲの女房」の中では、奥様が食費に困り道端に生えている雑草をおかずにしようかと本気で考えるほどの赤貧の貧乏生活が続いていた様子が出てきます。

そんな不遇の貧乏時代から突如少年漫画誌やテレビアニメで大人気の漫画家へとガラリと様子が変わる時が来るのですが、そういうことも運勢上では出ているのでしょうか?
気になったので見て見ました。

1922年3月8日 生時不詳
時日月年
●乙癸壬
●亥卯戌

大運9甲辰 19乙巳 29丙午 39丁未
※(使用するソフトによって大運が一歳ずれて表示されることがあるかと思います。これは自分で手計算をして出した大運です。)

生まれた時間は不明なので分かる情報だけで見ると、

日主の乙木の根は2支ありそこそこ強さを持っているので根気、根性のある人で芯のある頭の良い人です。
また日主の乙は木の五行で、乙には筆という象意があります。

そしてすぐ隣の月干で乙を生じているとても偏印の癸は液体で墨やインクと見ることができますから、乙の絵筆と墨やインクで、このような道具を使う人生を歩む人と言えましょうか。

また癸の干自体に霊性・神秘的といったキーワードがあり、この命式の癸は地支にしっかりとした根がありとても強いので、何か神秘的で特殊な変わった学問に非常に長けている人のようです。
それが妖怪研究の方向へ行ったのは言うまでもなく・・・。

そして、財運がないわけではないのですがこの命式には一つ困ったことがあり、墓が閉じています。
墓が閉じたままだと運が開けずなかなか運が上がりません。

それまで実力はあっても冷遇され収入の低い貸本漫画家として不遇の日々を過ごしていた水木さんがメジャーな大手出版社の人気少年漫画誌「少年マガジン」の連載という大きな仕事を貰い、その作品がヒットして遅咲きではあるものの一躍人気漫画家となり業界の中でも権威ある講談社漫画賞を受賞するという今まででは考えられないような快挙が起こった1965年の数え年で44歳になった年は、39歳からの大運の後半で閉じている墓を開ける大運が始まった年のことでした。

この時期を以て、収入の少ない貸本漫画家から大手出版社の人気漫画誌へいくつも連載を抱える人気漫画家として見事に運が開けることとなりました。

ご本人の水木さんは1965年のこの時期に長い間付きまとっていた貧乏神は去って行き今度は「妖怪忙し忙し」が来たとエッセイの中で書かれています。

これほどの大開運をしている時には命式上にも必ず何か現れているはずなのです。

その前年の1964年の甲辰年にも墓が開く年に当たっていますので何か運が開ける良いことが起こった年では?と思われるので調べてみますと、この年には後にたくさんの鬼才の作家を輩出したサブカルチャー系というのでしょうか、以前に貸本漫画時代につながりのあった社長さんがそれまでにはなかった知的な大人路線の漫画雑誌「ガロ」を創刊することとなり、水木さんはその雑誌の連載メンバーとしての仕事を貰っています。
これがその翌年の1965年に大手の人気少年漫画誌からの仕事依頼にはずみをつけることに繋がったのではないかと思われます。

やっぱり年運よりも大運で墓が開ける方が開運の影響力が強いようですね。

またこの大運の時期にご自身の会社の水木プロダクションを立ち上げられ、自宅兼職場に人が多く集まり賑やかになりました。
日支と大運支を含めての亥卯未の三合局が揃う時期には起こりそうなことですね。

生まれた時刻が分からないので紫微斗数の命盤は出せないのですが、水木さんのアシスタントさん、お弟子さんにはつげ義春や池上遼一といったそうそうたる精鋭の面々がいて、少し後の時代になると今度は神秘学研究家の作家、荒俣宏さんが「弟子にして下さい」などと言って来るなどなど、この方は子女宮がそこそこ良いのではないかな?という気がします。
(基本的な見方として、お教室ビジネス等で自分に授業料を払って来てくれる生徒さんは奴僕宮、自分の弟子として自分が衣食住の世話をしたりお給料を払いながら育てる人のことは子女宮で見ます。)

本人がやっていることや仕事に対する姿勢は大して何も変わっていない、ただ周囲の状況が、周囲から持ち込まれる仕事の内容が変わっただけ。
これまでとは違って貧しかった戦後期は終わり、高度経済成長期が始まり文化が賑やかに発展して行く時代からの応援もあった事でしょう。

これらみんなをひっくるめたものが運勢です。

こういうことがあるとやっぱり自分の力だけではどうにもならない運の力の影響力を感じずにはいられません。

次回の記事ではもう一人、同じように強運の力によって誰から見ても不利な逆境の状況を見事にひっくり返して日本中が大ブームに沸く一躍社会現象をも巻き起こし後の世に名前を残すこととなりそうなものすごい強運の持ち主の方の事を書きます。(女性です(^-^))

 

「幸福の七カ条」と水木さんの波乱に富んだ人生の貴重なエピソードが載っているエッセイ本。読めば読むほど幸せになれるかも?

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