強運の持ち主・松田聖子さん(3)デビュー当時の運勢・紫微斗数編

有名人・著名人の占例

前回「(2)申と酉どちらが聖子さんの命式・命盤か?」に引き続き聖子さんシリーズ。
生時は申時ということでまずは紫微斗数の方でデビュー時の運を見て行きます。

人生を左右する大きな変化を見るならば、運への影響力が大きい10年運の大限のチェックから。

デビューした年は1980年の数え年で19歳の年ですから、まずその時期の十年運である12歳~21歳の大限をチェック。

この時期の大限命宮は午宮の位置となります。
ここの大限命宮にはもともと化禄が入っていて、そして丙の大限干から大限財帛宮には化権と化科が飛び、大限官禄宮には化禄が飛びそして大限遷移宮からは化禄で照らされてと、もともと基礎的な運が良い大限です。

そしてもう一つ、この大限の重要ポイント。

この大限命宮にエネルギーを与えているのは子宮の位置の大限遷移宮に入っている擎羊星です。

擎羊星は怪我やトラブルの凶星ですが、この星は四墓の地で入廟したり子宮・午宮ラインに入る場合には突如の成功突発的な発展といった爆発的なエネルギーをもたらす働きをします。

吉星と同宮する場合は更なる地位や権力、社会的な成功ももたらされるとされています。

(※擎羊星の凶意が一番出るのは卯酉ライン上に入る場合。
入る宮や同宮する星によって擎羊星の出方が異なってくるので全部の宮の擎羊星を一緒くたにして見てはいけない、というのが紫微の基礎知識としてあります(^-^) )

午宮の大限命宮はもともと基礎的な運が良いことに加えて対宮からこの擎羊星に照らされ爆発的な成功をもたらされるという要素がある大限であったということが人生を大きく変えるほどの普通レベルではない強運の奇跡をもたらすことなった重要ポイントでしょう。

そしてこの大限命宮と重なるミスセブンティーンコンテストのオーディションに出場してスカウトされた年の1978年で高校2年生だった年の流年命宮(太歳命宮ともいう)からは隣の父母宮に化忌が飛び、お父さんとは芸能界入りを巡ってトラブっていました。

大限命宮と流年命宮の年運が同じ宮で重なる時はその時の大限の現象が大きく出て来る時期となりやすいです。

命盤上ではそんなことが起こっていたので若松プロデューサーと運命的な出会いを果たして歌手への道を歩み出したのでしょうか。

周囲の思わぬ予想外のアクシデントのお陰で今までの状況が急変し、突然本人も予想していなかったまさかのデビューが決まった1980年の流年命宮は主星が存在しない命無の宮で、本人が主体的にというよりも周囲の状況によって運が動いたという様子が見てとれます。

そして、この1980年の流年官禄宮は先ほど出てきた突発的な発展をもたらす擎羊星の入っている大限遷移宮の子宮に当たり、仕事環境に何か突然の良い状況が起こったと見ることができます。

流年命宮の対宮は寅宮で、ここには大限の化権・化科とそして命宮化禄に命宮化科が入ってこれらの吉星が流年命宮を照らし、周囲から人気や名声が大きく高まる様子も見られます。

また命無の流年命宮の対宮に入る天機・太陰の組合せは変化変動をもたらす組み合わせなので、これが対宮から影響を及ぼし本人の状況に変化が運ばれてきたと見えます。

突然の発展、成功が来そうな良い10年運という土台がある上で仕事環境に突然の発展が起こり、良い条件が重なって、本人にも変化の波が押し寄せて強運の女神様が降ってきたということがこうやって見て行くことで分かりました。

さて、次は四柱推命です。
が、ここまで書くのにエネルギーを消耗し疲れてしまったので、続きはまた次回に~。

次回で聖子さんシリーズ本当に最終回です。

「デビュー当時の運勢・四柱推命編」に続く