ファブリックの女王-マリメッコ創業者アルミ・ラティアとマイヤ・イソラ

仕事運の占い

お盆休み期間も終わり、休業中の会社も業務を再開し始めた先週でした。
皆さんどんな休暇を過されましたか?

私はとある風水と断易の資料を入手することができ、それを見て勉強するのに夢中になっていたお盆ウィークでした。
いずれ皆様の鑑定に活かせればと思います。

さてさて、私がいつかゆっくり旅行したい場所の一つにフィンランドがあります。

大好きな映画「かもめ食堂」の舞台で、森と湖とムーミンの国できれいだからということだけではなくて、北欧デザインの家具や家電、洋服にお皿やカーテンにクッションなどのファブリック製品のデザインがとってもおしゃれで見ているだけでぜんぜん飽きなくて大好きだからです。

そのフィンランドを代表するファブリックブランドで世界中にファンも多い「マリメッコ」を創業したアルミ・ラティア(1912~1979年)という女性がいました。

Marimekko (マリメッコ) 創業者アルミ・ラティアの波瀾万丈な人生を描いた映画『ファブリックの女王』が公開中
美しい色彩とクオリティの高いデザインで、日本でも人気の北欧を代表するファッション・ブランド Marimekko (マリメッコ)。創業者 Armi Ratia (アルミ・ラティア) のパワフルな人生を彩り鮮やかに描いた『ファブリックの女王』が...

戦後間もない時期に夫が経営する家業の小さな生地工場で生地のプリントの仕事に携わったことが、その後に続く転機の始まりでした。

その後彼女が創業した会社のもとには国内外からたくさんの若く才能溢れる優秀なデザイナー達が集い、その後の世界の人気ブランド「マリメッコ」を築き上げる礎となりました。

などというドラマの始まりのような話しを聞くと、その人の命式がすご~く気になってしまうのでマリメッコ創業者のアルミ・ラティアの命式を出してみました。

1912年7月13日生まれ

年 壬子
月 丁未(丁)
日 庚寅
時 ●●

時柱が分からない上に、年干と月干が干合しているので、これは格局が判別しにくいなぁ、困ったなあ~。
これじゃあ従格か内格かも分からないなあ。

でも諦めないで、天干に並んでいる干の関係を見て行くと、その人なりが見えてきます。

この方の場合は日干の庚金と月干の丁火が「火煉真金」というとても良い関係で並んでいます。
鉄の原石の庚金が丁火で錬金されて、立派な名刀になる関係です。
この並びを持つと優秀な仕事人タイプの人となります。

そして庚金に対して丁火は正官ですので、仕事や権力がこの人の生きる目的となります。
丁火は文化などの意味もありますので、仕事に生きる人というのが良く分かる命式です。

また、年柱は食神が強く、商売の良い発想や知恵などの才能をたくさん持っています。
時期が来るとこの才能が財に繋がるわけですね。

一番最初の転機が訪れた1949年、夫が営む小さな生地工場で生地デザインの仕事を任されて働き始めた年は己丑年。
これは墓庫が開く年となり、この命式の場合だと仕事に関することでの良い変化を迎えるといった時期になります。

その2年後の1951年庚卯年に「マリメッコ」を創業、翌年の1952年には直営店をオープンしています。
これは辛辰年のこと、三柱だけで見ると弱い比劫が強まる年で、こういう時期には財運が上がります。

また1960年には当時の次期アメリカ大統領候補夫人のジャクリーン・ケネディーがとても気に入ってマリメッコの服を一度に7着も購入して着て歩く姿がたまたま雑誌の表紙になり、マリメッコの人気が世界中に広まるきっかけとなりました。

この年は大運が寅木で庚子年で官殺の権力、知名度や名声がとても高まる時期でした。

これだけを見るとドラマチックな成功者の女性という印象ですが、その陰では仕事で自分のやりたいことを実現しようとすればするほどに一番身近な存在の夫や子供達などの家族や周囲の従業員たちに理解してもらえないといった孤独の苦しみを抱えて生きてきた人でもあります。

陽の裏には陰も必ずあるのですね。

そのことは、月支の未に「ああ、これかな~?」という様子で表れています。
時柱が分かればもっともっとはっきり分かるのではないかと思います。

また、マリメッコと言えば何と言っても良く見かけるこの花柄
「ウニッコ」

ウニッコ

これを作ったのはマイヤ・イソラという同じくフィンランド出身の女性デザイナー。

美術学校の学生だったマイヤは、1948年に「Amofora」という作品を制作して、それが翌年の1949年のコンテストの場で審査員をしていたアルミの目に止まります。
これがマイヤが後にマリメッコと関わるきっかけとなった出来事。

マイヤの命式では巳の大運に当たり、これがとっても良くて、自分の才能を引き立ててくれる良い上司や師と出会う時期に当たっていました。
1948~1949年は作品制作も順調で財運も良かったような様子です。

しかしどうでもいいのですがこのマイヤさん、確認できる限りで6回もご主人を変えています。
すごいですね。。。

離婚の理由がこれまたすごい。
「夫が芸術家、妻はその助手、という立場に反発を感じていたから」
    引用元:マイヤ・イソラ著「マイヤ・イソラ マリメッコのテキスタイルデザイン」

北欧の女性たちの自立心というか、職業人のプロ意識というか。
とにかく多くの恋に生きた自由奔放な人だったようです。

それにしてもフィンランドの女性達は逞しいです。

大変だったり辛いことも何のそので、戦後間もないくすんだ灰色一色だった世界を自由な発想を元に女性たちの力ですっかり彩り豊かな生活の世界に一変させた上に世界中にも広めてしまいました。

この方々はたまたま成功者ですが、人の可能性って素晴らしいなと思います。