四柱推命の勉強

今年(2016年丙酉年)に入って少しした頃に、私は新しい先生から四柱推命を教えてもらい始めました。

先生からは「人より占いができるというだけのことで、思い上がって勘違いしたおかしな人間になりたくないので、自分のことを先生や師匠などと呼ぶな」と言われているので(そういうことをさらっと言えてしまうところは、私的にとても好感が持てます。)、年齢もそう離れていないこともあり(少し?だけ私より年下)、まるで友達に接するかのように日頃から良くメールでやりとりしています。

先生は占い師などはなさっていない一般社会人で遠く離れたところに住んでいるので、メールで通信個人授業です。
今は便宜上「先生」と呼んでいるので、ゆるして……。

しかし、今まで私が見てきた本や、今まで教わった先生たちからは、見たことも聞いたこともないような、たまに鋭すぎてゾッとするようなことを見抜く知識を山ほど持っている方なので、本当にたまたま何か偶然のきっかけで知り合い、教えて頂く機会を与えていただいて、ものすごく感謝しているこの頃です。

教えて頂くようになってからは、目の前の閉ざされていた視界がパーっと明るく拡がったような感覚で、そして四柱推命の勉強を始めたきっかけは、何か自分の身の上の不運を嘆いてとか、「どうしてこんな星の元に生まれてしまったの~!」とかそういうネガティブなことではなくて、もともと自分が楽しくて面白くて始めたということでしかありませんでしたから、新しい知識を教えていただくたびにゾクゾクワクワクして楽しくて仕方がありません。

最初の最初に教えてもらったことは、先生の使っている流派での格局の取り方と、私の命式から見る人生の目的【体神】は、天干に出ている喜印の丁(ひのと)であるということ。

偏印は学問の特に占術などといった象意がありますし、陰の火の五行の「丁」の干は文化文芸といった意味合いも持ちます。

そういうものを追い求める、たとえ自分のためにならなくても、役に立たなくても追い求める(どこまでも、どこまでも、またどこまでも)のが生きる目的であるということ。

なんか今までを振り返ると、その通り~な生き様である私ですが、最初のうちしばらくの間は「比劫とは何でしょうか?」「食傷とは何でしょうか?」「印が忌神だとどういうふうに表れてくるでしょうか?」といったようなとても超基本的なことに当たる六親五類の象意のことをとてもたくさんのボリュームで教えてくれて、それだけで一冊の本ができそうなくらいでした。

驚くほど今まで基本が無かったんだなあと痛感いたしました・・・。

しかし、しかし、これが大変役に立つわけで、今までの知識だけではきっと「んー、全然ピンとこないよ? 違うんじゃないの?」のようなことしか答えてかったかもしれないなあと思う局面で救われたことが何度もありました。(特に「食傷」に関しては! 一般の書籍などで食傷の本当のところが押さえられているものはないんではないか?と思います。)

現時点で六親五類だけでそんなボリュームになる本は恐らく出ていないでしょうから、この六親五類シリーズは将来的に是非書籍化してほしいなあと思っています。

ただ、このたくさんの基本の積み重ねがいかに大切かが、教えていただいてから良く身に染みました。

驚くような必殺技も、正しい喜忌の取り方や、干の特性や六親五類の象意といった基本の礎がしっかりあってこそ生きてきます。

ですので私は今年に入ってからは、格局や喜忌の取り方は先生と同じ、透派に準じた方法を採用し、その他少しずつ教わり始めた日本国内には出回っていない中国の門派の見方を使って鑑定しています。

今年は私にとって喜印の巡る年で、大運でも午の印が来ていますから、学問の成果が実り、良い先生・良い知識にも恵まれる時期。

やたらと嫌なこと悪いことしか言われない厳しい占いという四柱推命のイメージも、良い部分はちゃんと見出せるという可能性に満ちた占術だということも、(もちろん厳しい部分も)あらためて強く実感しました。

もともと古代中国で、役人登用の際に、優れた人材発掘のために研究され進化した占術ですので、優れた部分、良い部分優れた部分を持つ人のことをしっかり見出せて当たり前なのですね。

しかし、一般のページ数の限られた一般の人向けの書籍などでは、そこまでの技術知識を網羅するのはとてもではないけれども無理というのが現実です。

確かで豊かな知識を持つ方にたどり着き、教えていただくのが唯一で一番の上達方法でしょうね。

どんどん進化して、占いを必要としている人の役に立てるようがんばります。