夢みる頃をすぎても

以前のブログなどでもお伝えしたことかもしれませんが、私にはもともとどういうわけか起業願望というかフリーランス願望がありました。
何でもいいので自分の腕や技を活かして会社員などではなく、自分で独立してやっていきたかったのです。
もう18・19歳くらいの頃には確実にそう思っている自分がいました。

どんな分野が希望かと言えば、ジャンルは文化的なことに関わることで。

何か作品を生み出しそれを世の中に認めてもらって、それを生業としていく。
組織を作って手広くというのではなくて、もう自分一人のペースで自由にやって行く。
なぜかそういうのにものすごく惹かれていました。

だから、作家さんとかクリエイターの人などにとっても憧れていました。

ソーイングが好きだったり料理にも興味はあったり、簡単な日曜大工も好きだったし、これもどういうわけか10代の頃からいつか自分の子供は絶対に欲しい!男の子も女の子もどっちもと強く思うところがありましたので、
家庭的なことが嫌いというわけではありませんでしたが、周囲の女の子たちみたいに、「普通にお仕事をして、普通に恋愛をして、普通に結婚して家庭を持って~……それだけ!以上!、オワリ。」という生き方には本当にどいういわけか幼い頃から全く魅力を感じず、
とにかく自分の中にどういうわけか強く存在している「何か自分の腕や才能を認められてそれで世の中に出て行きたい」ということの方が何よりも一番大切でした。

どうして自分がそういう方向に進みたがるのか?その時はまるで分からず謎でした。

なので自分の親に言われた通りに「自分は夢みがちな夢見る夢子さんだからなのかな? だから周りの普通の子みたいにごく普通のお仕事や生き方がつまらないと思う子供っぽい人なのかな?」
と思っていました。

いい悪いは別としても、義務的なことを嫌い自由や好きなことばっかりを求めますので子供っぽいというのはまあ一理あると思います。

で、現実はどうだったのか?というと、今でこそ気づいたら一応自営業、あの時自分が思い描いていた?現実が来ていますが、
そこに至るまでは、なかなか思い通りには行かず、自分の希望は子供じみた夢でしかなく、遥か彼方の夢のように縁もないもんだろうという日々を長いこと送っていました。
(実際は、夢をみていたあの時には全然見えなかった自営業フリーランスならではの大変な側面もあると、実感させられている毎日です。)

そんな若い娘時代のフワフワした夢など捨てて、お望み通りに?子供たちも生まれ、いいかげん現実をしっかり生きなければいけない立場になり、自分の夢を叶えることよりも、生活の方が大切となった時、自分のこれからの生き方をどっちの方向にシフトするべきなのかな~と興味関心が強くなって知りたくなり、それで初めて本格的な四柱推命という運命学の入り口に入りました。

占いならば他にもたくさんあるのにどうして四柱推命だったのか?というと、運勢の流れや本人の資質など、それこそ現実的にしっかり照らし出してくれる占いはそちら方面の知識は乏しく詳しいことは良く知りませんでしたがとにかく、中国の四柱推命だろうとその時思ったからです。

しっかりと現実を伝えてもらって、これからの仕事運や財運が運勢的にこういう流れだから、「今からはこういう仕事の仕方をしていった方が経済的に有利ですよ~、苦労が少ないですよ~」ということをぜひとも知りたかったし必要でしたので、心の隙間を埋めてもらいたかったわけでもないしというわけで、その場限りの癒し・励まし・セラピー的なものは必要としていませんでした。

アドバイスや相談事ならば、その時お世話になっていたスクールの先生やその道の先輩に話しを聞いてもらえれば充分間に合っていたからです。
でも、「あなたはもともと財運に恵まれているいない」とか「稼ぐ器が大きいから大きな商売に向く、またはその逆でこぢんまりやっていく方に向いている」とか「この時期ならムダな散財もしにくく、良い協力者も出るし、人気運にも恵まれるので軌道に乗りやすい」などということは、これはスクールの先生や先輩に聞いても分かりません。

なので、「先輩や経験者のアドバイス」や「人生相談」では答えの出ないことを是非とも知りたかったのです。

それが初めて本格的な占いの四柱推命を学び始めたきっかけです。

自分の運勢の流れを見てみると、20代~30代半ば過ぎまてはずーっと食傷の忌神運が続いています。

とびきりいいことも別にありませんでしたが、忌神運だからといって、特別ものすごい不運なことに合っているわけではなく、同僚や友達にも恵まれて、健康をひどく害することもなく、働きやすい職場に恵まれ会社勤めもしていましたのでお金に困ることもありませんでしたが、
その時代は、自分のやりたいことをどんどん求めて突き進むのですが、夢を追おうとすればするほどムダなことをして、お金の損失も多く、空回りしがちな時期ということが分かります。

また、何かを学ぼうとしても実りのある分野の勉強や良い師との縁に恵まれるといった時期でもありません。

確かにそうで、その時は色々と趣味や楽しみがきっかけのアロマ系やボディーセラピー系の資格取得のために散財したけれども、全て収入になるようなことには繋がらず、遊びや楽しみの範疇で散財して終わってしまったものばかりでした。

それに、その時は本気で駅チカのどこか良い場所に店舗物件を借りてアロマの足痩せサロンを開業しようなどという全く自分の器に合わないことをしようとしていたのですから、恐ろしいです。

私に合っているのはスモールビジネスです。
なのでレンタルサロンやカフェなどで鑑定をやっている今の具合がちょうどいいです。
そのまんま突き進んでいたら、きっとお金のことでそうとう悲惨な目に合っていたはずです。
(店舗物件を借りて維持するだけでもどんだけ経費がかかると思っていたのか……恐ろしい)

そして、もういい加減「夢のマイサロン計画」は無駄な投資に終わるかどうか?ちゃんと見極めないといけないんじゃないか?という時に、それまでは何だかすごく難しそうで自分にはできなそう……と敬遠していた四柱推命の勉強に辿り着きました。
難しいだけに当たるのだろうと思っていたからです。

でもまだその当時は長きに渡る忌神の食傷の大運の次に来た、楽な方向に流されたりして勉強運や仕事運に悪い影響の出る忌神の財の大運の時期で、しかも翌年は忌財の大運と忌財の流年運のダブルパンチでしたので、本当に腕のある良い先生に出会うのは、印綬の喜神運が来て喜神の印綬の年と重なる頃の数年後まで待たなければいけませんでした。 (勉強しはじめの頃は分からなかったのです……)

でもその勉強し始めた一番最初の年は、確かに良い路線変更が起きるという時期には当たっていたので、勉強し始めたのは今に繋がる良いきっかけの一つだったのだと思います。

悪い運の渦中にいる時は、自分が間違った方向に進んでいても、なかなか気付くことができませんし、気付くきっかけさえ来ないわけで、通らなければならない道だったのでしょう。

でも忌食の大運の「夢のマイサロン計画」に没頭していた時期には、フリーランスのスモールビジネスのWeb集客の知識を自分なりに色々と意欲的に調べて身につけようとしていたので、今の仕事を始めた際にはそれがとても役に立ちました。
なので高額な費用をかけてWebビジネスのコンサルタントさんやWeb制作業者さんのお世話になったことは一度もありませんが、自分の力だけでなんとか一定数のお客様に来てもらえるようになりました。

ですので悪い時期でも何かしら努力したりして身につけたことは、後々何かしら役に立ちますから、悪い時期だからと凹んでいるのは絶対に損だと思います。

そして勉強して知ったのですが、やっぱり私は自由を好み、自分の知識や技術で仕事をしたくなる人、だから普通の事務のお仕事なんかつまらなくてたまらない。
それに天干の並びを見てみると、私は「丁」の文学や学問といった象意があり、学術などの意味もある「印」が四柱推命の専門用語で「体神」といって、今世で求めてやまない生きていく目的になっているのです。

ああ、だからなのか。
私がどうしてもそっちの世界に引っ張られてしまうのは……。
本を読むのも好きだったし、いつか何でもいいので本を書きたいと思うのもきっとそのせいです。
これはいつかゆっくり時間ができた時の夢です。

そういえば、もともと人の運勢の流れには興味がありました。

辛くて長い下積み時代を過してから、ある時突如全国的に名が知れるようになる有名人の方などいらっしゃいますよね。
すごく興味を引かれます。

こういった学術的な占いの勉強をしていくと、どうしても悪い事なども見えてしまうこともあり、これはやっぱり仕方がないです。
誰だって生きていればいい事ばかりじゃないですものね。

でもやっぱりそればかりではなく、すごく良いこともちゃんと分かったりします。
いい事でもきちんと当たらないと、後々困ったことになってしまうこともあるでしょうし、以前に私が必要としていなかった単なる慰め励ましにしかならないので、ちゃんと当たるようにこれからも勉強し続けて行きます。

今は地を這いながらなんとか気力だけで生きているような人のその先の運勢を見ると良い時期が来ることが分かって、「今までの苦労が報われるような良いことが絶対に起きるよ!」と伝えられたら、どんなにいい事でしょうと思うからです。

夢みる頃を過ぎるような年になっても、良いことが起きて現実になる日が来るっていう思いが、生きて行く力になりますからね。


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「海街diary」の吉田秋生さんの初期の短編集。
彼女の作品は中学生の頃から愛読していました。
中でもこれはかなり好きな作品で、今でも色褪せない私の中の好きな一冊として残っています。