「抜きん出た存在」になる時が来る!?

仕事運の占い

こんにちは。
占いサロンひなたの綾野です。

今年にはいってから、「透派子平大法心得」の内容を勉強しています。

これは十干の天干と十二支の干関係に加えて六親を交えた時の象意(この組み合わせの時にはどんなことが起こりますよ~ということね)が事細かに網羅されている、四柱推命に関するとても価値の高い秘伝書だそうです。

だからといって、この文献を持ってさえいればもう何でも恐ろしいくらいに的中させられるようになる……などといったようなあま~いものでは当然ありませんね~。

どんな名刀も使いこなせる器があるから、活きてくるわけなので、そうでなければ単なる宝の持ち腐れやタンスの肥やしに猫に小判にしかなりません。

なので透派の子平にものすごく精通している方についていただき、日々少しずつ基礎的なところから勉強しています。

だいたい全文にわたって漢文なのでいちいち辞書で調べたり、知り合いの中国人をつかまえて嫌がれながらも(現代北京語とは違うみたいなので……)聞かないと分からないという状況ですので、本当に日々少しづつですねー。
先日は、こんなことを勉強しました。

「透派子平大法心得」の中にはこんな一文があります。
「印綬流年若喜神、其年精明幹練。生比劫則鶴立鶏群」
日本語で分かりやすくしてみると、

喜神の印綬が巡る年は、頭が切れ勉強も良く進み、とても上達し実力も大きくアップします。
喜神の印綬が命式内の喜神の比劫を生じれば、才能や能力がその他大勢を大きく引き離して、抜きん出た存在になります。

何やらすごいことが書いてありますね。

それでは私に喜神の印綬が巡る年はどうだっただろうか?とふと振り返ってみると、20代の時のその時期は、私は普通に会社員で事務の仕事をしていました。

抜きん出た存在になったのか?と言われると、まあ確かに同じ社内の事務職の中でも仕事ができる存在として周囲から一目置かれる存在には一応なっていたかなと思います。
社内でも一応エリートが集まる部署に異動になった年でもありました。

だからといって大した仕事をしていたわけではないんですけどねー。
そう、別に全然たいしたことない。
会社なんかお給料とボーナスはくれるし、社食も美味しかったし、先輩も上司のおじさんたちも優しかったし、お友達もいたけど、何がイヤというわけじゃないんだけど、とにかく仕事がつまんないから早く辞めたかったし。

それでは、その次の時期は?と振り返ると、その時は私はまだ幼児と乳児の子育ての真っ最中、ただただそれだけの日々で、その他大勢の中から抜きん出た存在といっても、自分の周囲のその他大勢は自分のコドモらかママ友しかいない状態、というわけでしたから、いま一つの不発に終わっています。

でもぼちぼちと、Web関係の仕事を始めたりなどした年でしたので、一応ママ友の中では抜きん出た存在になっていたのでしょうが……。

でもそこで「ほらだから、占いなんか当たらないじゃん!」というのは早計です。

その前も別に大したことはなかった……。となると、それは巡ってきた良い運気を十分に活かすような積み重ねがあって、それまでどんなことをしてきたのか? そこが問われてくるわけです。

だから、特殊技術を活かすような才能を持って生まれていたのならば、もっと早い時期からそっちの方向で頑張っていれば、SFジュブナイルに出てくるパラレルワールドではないけれども、全く別の人生が広がり、開運期の質も変わっていたということなんですね。

だから、チビッコたちの子育て時代には、好きな物作りを生かしてHPで発信したりしていたり、あるいはもっと学生時代から進路を専門技術を磨くような学校で学んで、そういう技術を活かすような、少なくとも「つまんない」と思わないようなお仕事についていたら、もしかしたらその時に自分と同じようなことをやっている人たちより、少しはもっと抜きん出て際立った存在になっていたかもしれませんねー。

なので開運期に至るまでにどんな生き方や行動をしてきたか?で人生の質が全然変わってくるんだと思うのです。

人生の軌道修正は早いに越したことはありません。

「占いでいい時期といわれたのに全然いいことなかった~」という人は、それまでの自分の生き方をちょっと振り返ってみると良いと思います。

だから、運勢の低迷期は、単に「悪いことが起こる時期」ではなくて、冬ごもりの芽吹く前の準備の時期なんですね。
じっと寒さを耐えながらも、後の幸せのタネになるようなことをコツコツと積み重ねて貯えて行く。

そうとらえると、運勢の低迷期の過し方はとっても大切。

やがてくる開運期は人生の実りと収穫の季節。
今までの生き方の総決算。

より良い開運期を迎えるためにも、その日その日を大切に生きることが何よりもの開運法だなあと、
この頃昼間はすっかり春めいてきた東京の季節の移ろいを感じながら思うのでした。

そして今度は私じゃなくて、漫画家のさくらももこさん。

この方に喜神の印綬が巡っている年の1990年庚午年ですが、その年は代表作の今や国民的テレビアニメとなった「ちびまるこちゃん」のテレビ放映が開始された年に当たっています。(しかも国民的アニメのサザエさんの前の枠の日曜のゴールデンタイム)

それによって今まで連載している月刊少女漫画雑誌の「りぼん」の読者さんにしか知られていなかった存在だったさくらさんは、全国の各世代のお茶の間のみなさんたちにもその名が広く知れ渡ることとなります。

もちろんその前から溢れる才能を十分に発揮しておられましたが、テレビアニメ化されたことによって、作品が映像化されたことのない他の漫画家さんたちとはもう決定的な差をつけてしまいましたね。

これも、巡ってきた運気を十分に活かす才能と下地があってこそだったのですね。

また、前年の半ば以降からはエッセイの執筆活動も始められており、ある小さな雑誌に連載が開始されています。
これが1991年に単行本化され、後のロングセラーとなる「もものかんずめ」。

前年の後半からブレイクする時期の予兆が出ていましたね。

さくらももこさんの年干には乙木があるため、庚が流年で来ると乙木と干合になってしまい、象意は出ないのでは?と思ったりもしますが、彼女の場合は地支に金の根がタップリありますし、何と言っても豊かな才能の上にそれまでなさってきた事の積み重ねがあったおかげで喜神の印綬の象意が出たのでしょうね。

世間では、「怖いことや嫌な事ばっかり決め付けるように言われる~」というようなイヤ~なイメージで見られがちの四柱推命ですが、そうやって長いスパンでこれから先の自分の良い時期を見つけて行くと、なかなか面白いですし、生き方の指針が定まります。

そして、私は再び今年喜神の印綬が巡ってきます。
今の私の周りのその他大勢って何に当たるのでしょうねー。

さてさて、今年の終わりにはどんな結果が出て、どんな収穫と実りを迎えますことやら。