四柱推命の身強の女性は結婚できない?結婚運が良くても悪くても、切っても切れない夫婦の縁いろいろ

結婚運の占い

普段鑑定を受けていると、「四柱推命で身強だから結婚に向いていないと言われました。」とか、あるいはネットのなどの無料占いでそのようなことが出て、自分で「結婚できないんだ~」と思い込んでいる方にちょくちょくお会いします。

確かに比劫の強すぎる身強だと結婚運が芳しくないなどと言われますが、そもそもその女性にとって強いと結婚運が良くないといわれる原因の「身」って何でしょう?

身強だと「我が強い」「自己中」「ワガママ」なニュアンスで捉えられていますが、これ本当のところは実は違うんです。

すごい身弱な命式の人でも我が強くワガママな人はいくらでもいますしね。

身強の「身」=比劫は、体育会の努力して頑張るエネルギーのようなものです。

分かりやすく言うと、自分の力でズンズン進んで頑張るエネルギーですかね。
だから男女差別ではありませんが、ちょっと男らしいエネルギーですね。
だから「我が強い」のとはちょっと違うんです。

で、どうして身強の女性だと結婚運が悪いのか?ということについて書いてみますね。

例えば男女のグループで全く知らない不慣れな海外のような場所に旅行に行ったとします。

そのような状況の時に、努力で身につけた現地の言葉はペラペラで、あちこち何があるのか買い物スポットや観光スポットのことを良く知っていて、自分で行き先のスケジュールを立てて、レンタカーの借り方や現地の交通事情にも長けていてどこでも自由自在に動けて、トラブルも自力で解決してなんのその、もう全然人の助けなんか要らないわ~というような女性(身強)と、

かたや、知らない土地でどこに行っていいのか全然わからないし、海外は不安で何だか怖いから、あなたの後をついて行きます~、こんな楽しい場所や美味しいお店をいっぱい知っててすごいわ~、頼りになるわ~といってくれる女性(身弱)、男性から見てどっちが魅力的か?、惹かれるか?というと、

それはもう男性にとっては、自分を信頼してついて来て立ててくれる女性の方が守ってあげたくなる本能が働いて魅力的に感じるわけなのですよ。

「人として魅力的な人」と「お付き合いする女性、結婚相手の女性として魅力的な人」の違いって悲しいかな厳然として存在するんですね。

ワガママだから~とか我が強いから~とか、はたまた性格が悪いから~とかそういうことじゃないんです。

確かに身強すぎると結婚運が悪くなる傾向はあるにはあるのですが、大丈夫大丈夫。

ですので、「身強だから結婚に不向きです」という判定をくらってしまった女性の方は、その溢れる旺盛で前向きな比劫のエネルギーを隠しておいて、賢くネコをかぶっていればOKなんです!
この程度の身強だから~ということは「私は一生結婚できない運命~」と落ち込むようなことでは全くありません。

独身男性の前では本当は自分も負けないくらいに知っているようなことでも、「え~っ? 私そういうの全然分からなかったから~、〇〇さんは良く知っていてすごいですね~! 今度教えて下さいっ♪」ってな具合にね。
(だからといってあまりにも依存的すぎると引かれてしまうでしょうが……ね。)

それで晴れて結婚生活が始まって、相手を支えてあげないといけない危機一髪のような時に、伝家の宝刀として普段は封印していた自分の比劫のエネルギーを使う、あとは彼のいないお仕事なんかの場ではどんどん使う、これが身強の女性の賢い愛され方です。

中には、自分を引っ張って守ってくれる頼りがいのある女性が大好きな男性もいて、私についていらっしゃい的な女性と上手く行くというケースもあるのでしょうが、やっぱりやっぱりいくら身強の女性とはいえそれでも女という生き物ですからひっぱってくれて守ってくれる頼りがいのあるタイプの男性に惹かれる本能がどうしてもあるのですよね。

身強のエネルギーの使いどころと封印するところを賢く可愛らしく押さえておけば、これはさほど恐れることではないなと私は思います。

また、本当は身強なのに身弱判定されている場合があったりしますので、自分自身の正しい傾向と対策立てるためにも、「おかしいなあ~」と思う場合は、ネット占いや本だけではなくてちゃんと判断できる方にみてもらった方が良いですね。

そんな「身強だから結婚に不向きですよー」などということよりも、ここにこれがこうなっていると結婚運が悪いですよ~というパターンは、四柱推命ではいくつかしっかり存在します。

結婚しにくかったり失敗しやすいというのは何も女性が身強だから~ということばかりではありません。
(これ、生まれた時間が分からない三柱推命だと見破れないケースが多いんです……)

そのような場合、運よく結婚しても結婚生活が辛かったりトラブルがあったりで離婚を考えたりすることもありますが、身強ではなく身弱なので、または身弱になっている時期なので「こんな男を頼らなくても一人でやっていってやるわよ!」のエネルギーが足りないせいで、不満を抱えながらも悪い結婚運ながらも最後まで添い遂げてしまうケース。
こういうのの方が遥かにたーくさんあると思うんです。

身近な人たちなんかの話を聞いていても、それはすごく感じます。

そして悪い結婚運を持って、苦痛なのに添い遂げる一生を送る、それって何なんだろうか?と考えてしまいました。

遠距離恋愛や単身赴任など、ある程度距離のある関係だと、お互いの嫌な面って何か大きな問題が起こらない限り、全然気にならず、会えない時間が愛を育てるじゃないですけど、相手の事をとっても良く美化されてきたりするものですよね。

でもそれが悲しいことに、同じ屋根の下で四六時中顔をつき合わせている存在になると関係がガラリと変わって、今度はどうしてか相手の嫌な面ばっかりが気になってしまうわけで……。

こんなのは夫婦でなくとも親子でも、仲の良い友達でも、会社の同僚仲間なんかでも同じかなと思います。
普段は何とも思わないのにちょっと離れると「どうしてるかな~」なんて心配したりしちゃう。

恋愛と結婚は違うと言われるゆえんはここですよね。

それでも夫婦でいなければいけない、子供もいるし簡単に投げ出すわけにはいかない、でもでも……。

そもそも結婚運が良かろうが悪かろうが、どうして夫婦になったのかといえば、どんなカップルでも、他にもっと別に好きな人がいたかもしれないけれども、でも本当に小さな偶然のいくつかが重なって重なってだから夫婦になったわけですよね。

これって「そこから何かを学びなさいよ」とそのストレスの種の結婚相手は、神様が遣わしてくれた勉強素材のために最適な相手なのかな?と思ったわけです。

例えば理不尽なことばかり言うダンナに文句が言えなくてストレスフルな思いをしている場合は、「ちゃんと自分の気持ちを伝えられる自分になろうね」という学びのためかもしれない。

そんな課題を課せられた自分は学びで埋めなければいけない穴ボコがたくさんある、そしてそんな自分と何の因果か向き合うことになった相手も自分と同じ穴ボコだらけの人間。

同じ穴ボコだらけの人間同士が引き合わされた、あの人にとっても私はあの人の学びのために必要な存在だったんだってことを心の中に留めておくと、悪くて苦しい結婚運の中でも救いが見えるとかな?と思います。

言いふるされたありきたりな言い回しできれい事に聞こえてしまうから私としては気に入らないけど、どんな結婚でもやっぱり意味のない出会いはないという結論。